親子関係が楽で風通しの良いものであるために
喧嘩ができる、ということはいいことです。
ここで言う喧嘩、というのは冷戦ではありません。
お互いがお互いの思っていることを言える喧嘩です。
感情を出すことができることを言います。
言い合いというか、じゃれあいというか
クレヨンしんちゃんのみさえとひろしとしんちゃんのやり取り
あんな感じで大人と子どもが関わることができたなら
子どものこころは豊かにすくすくと育つのではないかと思うのです。
しんちゃんは甘えることを知っています。
だから外に出てもビクビクすることがありません。
みさえとひろしがしんちゃんのありのままを肯定し
しっかり関っているからです。
対等にやり合っているからです。
みさえさんはすごく人間らしいです。
イケメンや素敵なお洋服にときめいたり、昼寝をしたり。
ひろしも綺麗なお姉さんにはかっこいいところを見せようとしたりして人間らしいですよね。
家庭のなかで完璧を目指すと、少し息苦しくなります、親も子どもも。
良かれと思ってやっているのにお互いが苦しくなったら本末転倒です。
「子どもを肯定する言葉がけを」
「うんうん、と聞いてあげよう」
と育児書などに書いてあることも大切なことです。
しかし現実は常に子ども優先でいられなかったり、ついつい感情的に怒ってしまったりすることもあります。
理想の母親を目指して頑張るよりも
母親も一人の人間であることを生活の中で見せていく。
生き方を見せていくのが良いのではないかと思います。
親の仕事は「お世話をすること」ではなく「生き方を教えること、導くこと、人生のコーチであること」です。
完璧に「お世話」できなくていい。人との関わり方やモノの考え方、気持ちの伝え方、コミュニケーションを取ることを教えてあげられたらいいのではないかと思います。
しんちゃんだって、みさえさんが完璧に家事をこなして、完璧に育児をする、「完璧ママ」であったなら、「間違ってはいけない」「完璧にやらなくてはいけない」と自分にプレッシャーを課して、あんなにのびのびした五歳児にならないように思います。
親がのびのび自分らしく過ごしている姿を見せることが、子どもにとって最も安心できることです。
お互いにツッコミ合える、笑い合える、心で関わることができる、クレヨンしんちゃんの野原一家っていいなー、と思います。パパ
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