わかり合いたかっただけ【夫に期待しすぎて疲れた私が、心の平穏を取り戻すまで】

わかり合いたかっただけ【夫に期待しすぎて疲れた私が、心の平穏を取り戻すまで】

夫と感情を共有できない。
話しても伝わらない、毎日のやり取りに疲れてしまった人へ。

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「わかりあいたい」と願うことは間違っているのか?

私は結婚二回目だ。

一度目の結婚では、感情がいつも先に立っていた。 泣いて、叫んで、ぶつかって、 愛しているのか、傷つけ合っているのか、 自分でも分からなくなる夜を何度も越えた。

このまま一緒にいたら、 きっと二人ともダメになる。 そう思って、終わりを選んだ。

だから二度目は、真逆を選んだ。 静かで、無口で、波風を立てない人。 安心、という言葉が似合う人。

──それでも、不思議なことに、 同じように疲れていく自分がいた。

私が欲しかったのは、 大きな愛情表現でも、正しい答えでもない。

ただ、 「それはしんどかったね」と 一度、気持ちを置いてもらえる場所だった。

話をすると、 彼はすぐに考え始める。 どうすればいいのか、 何が正しいのか。

一方で私は、 考える前に、 ただ気持ちを共有したかった。

その小さなズレは、 少しずつ大きくなっていった。

わかってほしくて話すほど、 話は違う方向へ進み、 気づけば、声だけが大きくなっていた。

 

わかり合おうとすればするほど

こんなはずじゃなかった。

何度もそう思いながら、 それでも「わかり合えるはず」と どこかで信じていた。

でも、ある日ふと思った。

これは努力不足でも、 愛情不足でもなく、 立っている場所が違うだけなのかもしれない、と。

音楽の好みが違うように、 会話のリズムが違う。

同じ日本語を話していても、 聞こえている周波数が違う。

そう思えたとき、 少しだけ肩の力が抜けた。

私は決めた。 彼に、心の奥まで分かってもらおうとするのをやめる。

それは諦めではなく、 距離の取り直しだった。

夫婦でいる意味を、 「全部を分かち合うこと」から、 「同じ方向を向いて歩くこと」へ。

 

夫婦でいる意味を、 「全部を分かち合うこと」から、 「同じ方向を向いて歩くこと」へ。

完全に重ならなくてもいい。 同じ景色を、 同じスピードで見られなくてもいい。

そう思えるようになってから、 心は少し静かになった。

不思議なことに、 周りの音も、 前よりやさしく聞こえる。

わかり合いたかった気持ちは、 今もちゃんと残っている。

ただ、それを 一人の人にだけ預けるのをやめただけ。

もし、あの頃の自分に声をかけるなら、 こう言うと思う。

わかり合いたかっただけのあなたは、 間違っていない。

それだけ、人とちゃんと向き合おうとしていただけ。

今の私は、 自分の心の音が聞こえる場所に、 静かに立っている。

 


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