子育てする父親の役割や子どもとの関わり方を考える本「翔ぶ少女」

子育てする父親の役割や子どもとの関わり方を考える本「翔ぶ少女」


([は]9-1)翔ぶ少女 (ポプラ文庫)
を読んで、育児、子育て、子どもとの付き合い方を考えたのでシェアしたいと思います。

この本のあらすじはこんな感じ:

1995年、神戸市長田区。震災で両親を失った小学一年生の丹華(ニケ)は、兄の逸騎(イッキ)、妹の燦空(サンク)とともに、医師のゼロ先生こと佐元良是朗に助けられた。復興へと歩む町で、少しずつ絆を育んでいく四人を待ち受けていたのは、思いがけない出来事だった――。『楽園のカンヴァス』の著者が、絶望の先にある希望を温かく謳いあげる感動作。【解説/最相葉月】

翔ぶ少女 より)

このあらすじを読むと、阪神淡路大震災のことだとわかります。

 

 

コミュニティで子どもを育てること、みんなで子どもを育てること、

皆で生きていくことを描いた作品です。

 

 

HSPやエンパス、かなり感受性が豊かであると自己認識がある方には本書は著者が書くことが上手なために、かなりリアルに震災のリアルを感じるシーンが至るところに出てくることをお伝えしておきたいです。冒頭、震災の日のから始まります。

 

震災で両親を失った小学生の主人公とその兄、まだ3歳だった妹の三人兄弟が心療内科医の男性に救われ、そこから4人が新しい家族をつくっていくのですが、お互いのお互いへのやさしさと愛がところどころにちりばめられています。

 

色々あるけれど、生きていくこと、そして何気ない日常への感謝、やさしさが溢れた生活が描かれています。

 

彼ら4人はまわりの人たちと一緒に「ムラ社会」、

または「サザエさん」の世界観を震災後に生きていきます。

 

 

子どもたちが「ただいま」と言えば仮設住宅のひとたち、

周りの大人たちが「おかえり」、と言ってくれる世界観。

 

スープが冷めない距離で大人たちが見守ってくれている中成長していく3人。

 

震災孤児となった3人をいつも気にかけ「たくさんつくってしまったから」と食べ物をおすそ分けしてくれる大人たち

(本当は「たくさんつくってしまって食べきれないから」というのは建前で、彼らの分もわざわざつくっていたのだけど)。

 

被災地で復興に走り回る心療内科医の「おっちゃん」は、忙しすぎるので子どもたちが学校から帰ってから家事や食事の支度をするようになります。

 

皆が自分にできることをやって暮らしていくことで、子どもたちも震災から立ち直り、成長し、自立していく成長物語。

 

沢山の大人たちに育ててもらい、じゃれあいながら成長していく子どもたちの姿を追っているととてもやさしい気持ちになります。

ムラ社会で子育てができるといいなと思いました。今回は子育ての在り方を考えてみたいと思います。

 

ポッドキャストでもこの話をしています。

 

 

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「翔ぶ少女」に学ぶ、父親が存在する子育て

おっちゃんの「男のたしなみレッスン」

震災の日に子どもたち3人を救ってくれた育ての親は「ゼロ先生」と地域の人から呼ばれ慕われていた心療内科の先生。彼を子どもたちは「おっちゃん」と呼んでいました。

 

少年には男とは何かを教え、少女たちにも男はやさしいこと、頼りにしていいことを伝える「おっちゃん」のような存在が身近にあると、子どもたちは「男とはやさしく強いもの」と理解するようになります。

 

 

そうすると変にスレて「男らしさ」を誇示しようとしてグレたり、暴力的になったりする男の子が減り、男に愛されようと、愛されることばかりを考える「無価値観」を抱えた女の子がきっと減る。

 

こんな大人の男が子どもたちと関わってくれると最高です。大人の男は子どもたちとこう向き合うと子どもたちのこころが育つ、というロールモデルが小説の中に「おっちゃん」として描かれています。

 

子育て中のお父さん、父親として何をしていいのかわからない方必読です。

 

 「乱暴にしたらあかん。女の子の手はな、やさしく握るもんやで。こうやってな」

そう言ってから、燦空の手をそっと握った。それから、もう片方の手で、丹華の手を握った。丹華は、思わず妹と顔を合わせて、ふふっと笑った。それにつられて、燦空も、ようやく笑顔になった。

「ほら、見てみ」と、おっちゃんもうれしそうに微笑んだ。

「大事なことやで、男やったら、覚えとけ、ええな!」

((翔ぶ少女 P29)

 

 

 

ゼロ先生は、逸騎の耳にひそひそ声でささやいた。

「あほ。女子と話がこじれてしもたら、なんでもええから、悪うございました、言うとくんが男の流儀や。よう覚えとけ」

それから、丹華と燦空のほうを向いて、「さ。これでええやろ。行くで」と、にこやかに言った。

翔ぶ少女 P124)

 

 

「逃げも隠れもせえへん、言い訳もせえへん。面と向かって、きちんとあやまる。男やな。かっこええぞ、陽太」

翔ぶ少女 P147)

 

 

こんなふうに少年にきちんと教えてくれる大人の男性が成長過程にいると、いいよね

 

大人の男性が子どもたちを守ること、

きちんと関わること、

愛していると伝えること、

生きていくことを教えることは

子どもの自己肯定感を育てるためにとても大切なことです

 

 

こちらの作品では逆に父性が存在しない子どもたちの世界が描かれています。「翔ぶ少女」と合わせて観てみると、父親・父性の存在が子どもたちや子育てをする女性にどんな影響を与えるか考えてみるきっかけになるかもしれません。

 

「ゼロ先生・おっちゃん」は本当に素敵な「おとうさん」。女の子の扱いまで冗談交じりに教えてくれる、男の流儀を教えてくれて、しっかり子どもと向き合っています。

これは育ての親だからこそ、「血の繋がりがないからこそ」、距離があるからこそできることなのかもしれないですね。

血縁関係があると、ついつい気恥ずかしさで言えないこともありますよね。

だからこそ、子どもたちには親以外の大人と関わって欲しいと思うのです。親以外の大人が教えられることは沢山あります。親ではないから子どもと話せることもあるのです。

どんな大人がいるのか、どんな生き方をすればいいのか、また、自分はどんな生き方がしたいのか、たくさんの「人生のサンプル」を子どもの頃から知ることはとても良いことなのではないでしょうか。

 

なんでもない日常を子どもと楽しむとこころは育つ

登校まえ、おっちゃんとのどうってことないやりとり。どうってことない時間。けれど、丹華は、そのどうってことないちょっとした時間が、なんだか好きだった。((翔ぶ少女 P31)

 

朝、ふかふかのふとんの中で目覚めて、カーテンを開ける。太陽が昇って、青空をすみずみまで照らしている。花の香りのするやわらかな風が、開け放った窓からそよそよと吹いてくる。うんと気持ちのいい、楽しい一日が始まる。

翔ぶ少女 P191)

 

何事もなく、おだやかで、ときどき何もなさすぎて退屈だけど、それでも家族四人、元気いっぱいの毎日を送っていた。

表に出ると、どこからともなくいいにおいがする。丹華は、胸いっぱいに深呼吸した。

近所で朝ご飯のしたくをするにおい。いっぱいに咲く花のにおい。荒いたてのシーツのにおい。

さりげない生活のにおいが、路地裏にあふれている。

翔ぶ少女 P202)

翔ぶ少女 にはなんでもない日常の生活音が聞こえてきそうな、においがしてきそうな、がやがやが伝わってくるシーンが沢山出てきます。

 

家族の楽しい言い争いや、ふざけあい、「早くごはん食べなさーい!」という声かけのしあわせ、何気ない、特に事件の起きない日々がつながっていくことのしあわせを感じます。

 

特別でなくてもいいから、毎日たくさん笑おう。たくさん「好き」を伝えよう。

 

それが子どもを育てるにおいて最も大切なことなのではないでしょうか?

 

何者にならなくてもいい、あなたはそのままで愛されているんだよ、

そうやって真向から子どもと関わること。

 

そしてそう大人が子供と向き合い、関わりながら、子どもはこんな風に日々の生活の中に心地よさや気持ちよさ、愛や美味しいごはんを感じることができたなら、きっとまっすぐすくすくと育っていくことでしょう。

「ニケ、なんもせえへんのに、いっつも、おばあちゃんらに、ありがとうって言われるねん。なんでやろ?」

先生に訊いてみると、

「ええやないか、子供は、なんもせんかて、お年寄りにはうれしいもんなんや。そこにいてるだけで、ありがたい気持ちにならはるんやろ」

そんな答えが返ってきた。丹華は、ちょっとうれしくなって、

「ニケも、おじいちゃんおばあちゃんと一緒にいてると、ありがとうって言いたくなるねん」

セロ先生は、にっこり笑って、頭をくしゃくしゃとしてくれた。

((翔ぶ少女 P54)

 

塾に行くこと、「何者」かになろうと、「何者」かにさせようと、親が習い事を「させる」のはどうなんだろう。

子どもへの過剰な期待の押し付けにならないだろうか?

 

翔ぶ少女の中で「おっちゃん」は「塾には行かせない方針」を貫いています。

 

その代わり、主人公の少女を自分の往診に一緒に連れていったり、復興ボランティアに連れていったりして自分の仕事や社会の実践の場を見せてあげています。

 

子どもが最も悩む、最初にぶつかるカベは進路を選ぶことではないでしょうか。

その時にできるだけ多くの「大人(社会・生き方)」を知っていると、自分の好きなものや生きる方向を選ぶ力になるはずです。

 

翔ぶ少女 私は「子育ての教訓を教えてくれる本」として読みましたが、メインのテーマは「震災」で、「震災孤児」で、「震災からの復興」であり、その中で「いじめ」や「孤立」問題も出てきます。

 

震災という恐ろしいトラウマ体験をしても、日常は繋がっていく。生きることは続いていって、そしてそれは苦しいことばかりではない。

生きるって、なんだろう。そんなことを考えるきっかけにもなる素晴らしい本です。

 

読んでいて思い出したのは、そして生きる

この世界の片隅に

いじめ・学校に馴染めない子どものこころ

かわいそうやん。せやけど、遊んであげへんかったら、もっとかわいそうやん!どこからともなく、そんな声が聞こえてくるようにで、いやだった。ニケは、学童保育の中で、次第に孤立していった。…

誰かに促されれば、丹華はすなおにそれに応じた。みんなのところに行って一緒に遊んだり、先生とおしゃべりしたり。けれど、何をしていても、なんとなく「ふり」をしている感じがあった。

遊んでいるふり。しゃべっているふり。笑っているふり。

「ふり」をしているうちに、疲れてしまう。いつも、ぐったりして帰ることになる。((翔ぶ少女 P57)

度々ニケが「かわいそうだから、、、」と学校で言われているシーンが出てきます。

「かわいそうだから誘ってあげたのに!」「かわいそうだから遊んであげるのに!」

何につけてもかわいそうだから、とどちらかが相手に同情した途端にその人間関係の力関係は歪みます。

誰かのことを「かわいそうがる」のは沢山の理由があるだろうけど、健康的なことではないのは確か。

子どもが「あの子かわいそうなんだよ」と言う時、それは大人の真似をしているだけのことも多いです。大人が何も噂をしていなければ、子どもたちの間で「あの子はかわいそう」という概念になるでしょうか?

「自分たちとは違う」と異質さをかぎつけると子どもは異質さが怖いので攻撃をすることはありますが、「かわいそう」とは言いません。

子どもはびっくりするくらい大人の会話を聞いています。自分の子どもに自分の価値観がつつぬけに浸透していくことを肝に銘じたいです。

何かにつけて「かわいそう」と言うこと、その言葉は使わないようにしたいですね。かわいそうがるなんて、何もしない傍観者のセリフですから。子どもに「傍観者」でいて欲しいとはあまり思わないですよね。

ムラ社会で子どもを育てること、できるだけ沢山の大人と関わることが子どものこころを育てると思っています。しかし、沢山の大人の中で育つほど、こんな風におとなの噂話を聞いて子どもがそれをそのまま吸収するということもあります。

傷つくこともあるけれど、それでも人と関わることでしか人間は成長することができません。

生きることって何だろう、子どもを育てるとは、子どもとどう関わるべきなんだろう、そんな風に悩んだら是非一度読んでみてください。

【力強い物語で大事なことを考えたいの。とっておきのあるかしら?】とおかあさんが聞いている絵が描いてありました。

次に読むものに悩んだら

 

小さなお子さんとの子育ての悩みは、ひとりで抱え込むよりもプロに相談してしまうといいかもしれません

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