ちゃんと きちんと しっかりという言葉が子どもの自己肯定感を奪う

ちゃんと きちんと しっかりという言葉が子どもの自己肯定感を奪う

子どもがちゃんとしない、きちんとしない、しっかりしていなくて心配だ。

これを読んでくれているあなたはそんな風に悩んでいるのだと想像しています。心配だから、不安だから、ひっきりなしに子どもに「ちゃんとしなさい」「きちんとしなさい」「しっかりしなさい」と、怒鳴ってしまうこともあるかもしれませんね。

「今日はテストがあんまりできなかった」そう言う子どもに対して、そっか、と受け止める言葉も無しに「えー!もう!ちゃんとしなさいよ!」そう受け答えることで子どもと会話のキャッチボールをしているような気すらしているかもしれません。

しかし

ちゃんと、きちんと、しっかり、どの言葉も子どもを傷つけています。

しかも子ども自身は深く傷ついていることに気づかないし、

親も傷つけている自覚はありません。

その子が大人になってから、
ボディブローのようにじわじわと効いてくる親からの攻撃が
ちゃんと、きちんと、しっかり、です。

ちゃんと、きちんと、しっかり、と言いがちなあなたへ。

あなたが本当に不安に思っていることはなんですか?

もちろん傷つけるつもりなんてないよね。親として、子どもにしあわせになってもらいたいと思っているんだよね。

そもそもどうして「ちゃんと」「きちんと」「しっかり」しなければいけないのか、どうしてそう子どもに言ってしまうのか、一緒に考えてみましょう。

どうしてちゃんと きちんと しっかり やらねばならないのか?

子どもに
「ちゃんとしなさい」「きちんとしなさい」「しっかりしなさい」
そう言う時って誰のためなのか、ちょっと考えてみましょう。

 

そんなのこの子のために決まっているでしょ! 親なんだから当たり前でしょ!
とあなたは叫ぶかもしれない。

しかし本当にそうでしょうか?

 

例えば、あなたは母親で中学生の娘がいたとします。

そしてその娘は彼氏がいたり、お化粧したりしているとします。

そこで親であるあなたは、事あるごとに
スカートの丈が短いし、化粧なんかしてみっともない
ちゃんとしなさいよ。
もっと清楚に品のある服装をしなさいよ、きちんとしなさいよ。
男の子となんか付き合って。しっかりしなさいよ。と言う。

娘さんは当然反発するでしょうね。

なぜだかわかりますか?

そういう年ごろだから?

もちろん多感な時期ではありますが、そうじゃない。

みっともない。

親は何の気無しに言うのかもしれませんが、
これはかなり子どものこころを傷つけます。

これをついつい言ってしまうのは「親だから」「きちんとするように」注意しているつもりなのだと思います。でもそれって誰のためなんだろう。みっともない、って自分が誰かから言われたらどんな気持ちがするでしょうか?

みっともない、って否定の言葉なんです。「注意している」つもりかもしれませんが、これは相手を否定する言葉です。

恥ずかしいからやめなさい」これも同じです。子どもを恥じている、こんな子恥ずかしいと思っていることを直接子どもに伝えています。

みっともなく、恥ずかしい子なんだ、私は、そんなメッセージを受け取った子どもに自己肯定感が育つはずはありません。親に否定されたら、子どもは自分で自分を否定してしまいます。親としてはしっかりとした子に育って欲しくて、「変わって欲しい」という願いがあるのだと思います。しかし

子どもを「変えよう」とするあまりに今のその子の在り方を否定する、今のありのままを受け入れてあげない、そんな親子関係を続けていると溝は深まっていき、子どもはどんどん自己否定的になっていきます。

そして自分ならできる、という自己効力感も当然育ちません。

モラハラ夫も、反抗期の子どもも、職場のイヤな人に対してもそうですが、誰かを変えることは基本的にはできません。そして「変えてやろう」という意識は相手にも伝わります。「変えてやろう」という意識の中には、現在の相手の在り方をダメだと思っている気持ち、否定したい気持ち、私のほうが正しい、私のやり方でやって欲しい、という気持ちが隠れています。

なので当然相手から反発されます。

こちらの記事では写真家の幡野さんが反抗期の子と親についてお話されている文を引用しています。今リアルタイムで反抗期の子どものことに悩んでいる方は是非こちらの記事も参考になさってください。

 

思春期に入って、
異性を意識するのは当たり前でなんら不思議なことではありません。

モテたい、綺麗になりたい、かわいくなりたい、そんな風に。

もちろん娘さんだと心配かもしれませんが、

彼女自身が思春期で不安定で、
何が正解なのかわからなくて、
大人になりかけていて、多感な時に
「みっともないからきちんとしなさい」なんて言われたら、
あ、こうやって異性を意識することって恥ずかしいことなんだな、
私って恥ずかしいんだ、と恥じ入るでしょう。

そして、母親は私をすぐ批判する、
母親は私を受け入れてくれない、と
彼女自身気がつかないうちにかなり深く傷ついていきます。

中学生だとたとえ生意気なことを言っていても、まだ親は絶対です。
絶対な存在に否定されることほど傷つくことはありません。

なぜ傷ついているか理解できない、母から否定されているということに身体では気がついているけれどこころの中で言語化できない、受け入れられないので、ひたすら反抗的な態度を取るでしょう。

そして尚いっそう母親であるあなたにこころを閉ざしていくと思います。

子どもがすくすく育っていくためには、「親は私の絶対的味方、どんな私も受け入れてくれる」と感じられる親子関係が必要不可欠です。

ちゃんとしなければならないのは誰のため

上記例の母親のような立場にある方は、

娘が心配だからしっかりしなさい、
ちゃんとしなさい、きちんとしなさい、って言うんですよ!
それの何がいけないんですか?

そう対抗したい気持ちになると思います。

ちゃんとするって、皆さんにとってどういう意味を持つでしょうか?一緒に考えてみましょう。どんなふうにしていたら「ちゃんとしている」ことになりますか?みっともないのは何が具体的にどうしてみっともないのでしょうか。きちんとするって、誰のためなのでしょうか。しっかりするって、どういう意味で、どうしていたらしっかりしていることになるのでしょう?しっかりして、ちゃんとしていたら、今後どうなるのでしょうか?

ん?それって全部、もしかしたらお母さん自身のためなのではないかな?

周りの目を気にして、みっともないことをして欲しくない、そういうこと?

お母さん自身がお母さんのご両親からそう言われてきたのかもしれませんね、ちゃんとしなさい、って。お母さん自身、ちゃんとしなきゃどうにかなってしまう、と不安なのかもしれません。ちゃんとしさえすれば、大丈夫、上手くいくのだ、と教えられてきたのかもしれません。

 

きちんと娘さんと向き合っていますか?
娘さんをわけのわからないものとして、あきらめていませんか?
娘は何も話してくれない、って自分を「被害者」にしていませんか?

話してくれないのは、今まで彼女を否定してきたからです。否定してきたつもりはなくても、彼女は深く傷ついています。話してくれないのは、どうせ話しても無駄と思われている証拠です。どうせきちんと最後まで話を聞いてくれずに、否定されるだろうなと思われている証拠です。

彼女のことを理解しようとしてみてください。意見を言う、のではなく、意見を聞いてみて。聴くことに集中すればきっと彼女が本当は何を言っているのか、聞こえてくるはず。最初は否定したくなるかもしれないけれど(心配だから)、きっと本当の声が聞こえてくれば話は理解できるようになるはずです。

しっかり向き合えば、きっとわかり合えるよ

 

ちゃんとしなさい、しっかりしなさい、きちんとしなさい、
そんな風に頻繁に言う親は常に抽象的に親ぶる、親子ごっこすることが多いように思います。

どういう風に「ちゃんと」するのかは教えてくれない。どういう風に生きて行くのがかっこいいのか、どんなふうに生きて行けばいいのか、人生の指針を子どもは教えて欲しいのです。「あなたは子どもで私は親よ」と言うだけの「親子ごっこ」は要りません。具体的に人生を生きることについて、親は子に教えてあげて欲しいです。

とにかく世間に対して「みっともない」ことは許さない。

子どもに「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」「きちんとしなさい」
そう言いがちな方、どんなときにそのセリフを言ってしまうんでしょうか。

 

自分も親からそう言われて制限してきたことを子どもがやっている時?

自分の思い通りに子どもが動いてくれない時?

もしそうなら、子どものためではないですよね。

 

自分のために「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」「きちんとしなさい」と一生懸命子どもに言い聞かせようとしているのだとすれば、子どもは「親が親自身のために、親自身が不安だからそう言っているだけである」ことを体で感じています。多分子どもに色々バレてます。なので子どもは「結局自分のことばかりだな」と親をあきらめてしまいます。

厳しく育てらると大人になってから生きづらくなる

みっともないから「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」「きちんとしなさい」
そんなセリフで押さえつけられるように育てられると、その指示が抽象的すぎて子どもはどうやったら誉められるのかわかりません。

何をしたら「みっともなくなくなるのか」わかりません。

何をしたらいいのかわからない

だから親の顔色を伺うようになります

そして自分が自発的にやったことや自分自身を

「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」「きちんとしなさい」

という言葉で否定され続けると

自信が無くなります

物事を自分で決められなくなり

どうやって生きて行けばいいのかわからなくなります

そして

ちゃんとしなさい、きちんとしなさい、しっかりしなさい、そう言われて育ってきた人々は、大人になってから、「あれ、そういえばおかあさんに誉められたことあったっけ」とふと気づく時がくるでしょう。あれ?私って、そもそも、愛されてたの?そんな風にふと自己肯定感がない自分に気がついてしまう。

ちゃんとしなさい、きちんとしなさい、しっかりしなさい

そういうばかりで、子どもをほめることを忘れていませんか?

世間体を気にしたり、自分のために子どもを叱りつける親がやりがちなこと、

成人後の子どもがきちんと自分の足で立てないと、
「きちんとした会社」に入って「ちゃんと社会人」をやっていないと

もう、本当に、しっかりしてよ!などと子どもに言ったりします。

本当はこの母親が
ちゃんとしなさい、きちんとしなさい、しっかりしなさいと
言い続けたから子どもに自己肯定感が育たなかったのに。

子どもは沢山の出会いや経験から人生を自分で学んでいきます。

なので、子どもが生きづらさを抱えた時、すべてが母親に原因がある訳では無いものの、
成人前の子どもにとって母親は「絶対神」であるということを忘れないで欲しいなと思います。

 

まとめ

結構強めに怖めに書いてしまいましたホラーストーリーのようですが、これが毒になる母親(いわゆる毒親)のプロセスです。

たかが口癖されど口癖。

口癖は自分のこころの鏡です。

最も本音や自らの本質が浮彫になります。

どうかお子さんがいるお母さんはちゃんと、しっかり、きちんと、と子どもに言わないようにして欲しいと思います。

もちろん私自身も気をつけていきたいけど、たまに自分も母親と同じことを言っていたりしてゾッとします(;´∀`)

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